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我々が感じる“音”の実体は空気の振動である。空気の振動は、初めに鼓膜とその奥にある耳小骨と呼ばれる数個の小さな骨を震わせ、内耳においてカタツムリ様の蝸牛管内部に満たされたリンパ液を振動させる。そして液の振動が蝸牛内部の有毛細胞の感覚毛を揺り動かすと、電気信号が脳に伝わり音として認識される。有毛細胞が傷つくと難聴になってしまうため、その発生を理解することは治療の可能性を広げるためにも非常に重要であるが、詳細なメカニズムは分かっていなかった。
理研CDBの小野和也研修生(感覚器官発生研究室、Raj Ladher特別主幹研究員)らは、マウスの蝸牛管においてFrs2/3を介したFGFR1シグナル伝達が内耳の有毛細胞の形成に必要であることを明らかにした。この研究成果は、PLOS Genetics誌に1月23日付けで発表された。
ほ乳類の蝸牛は外有毛細胞3列と内有毛細胞1列、及びその周囲で有毛細胞をサポートする支持細胞から構成されている。有毛細胞の形成過程は、まず胎生10.5日目において内耳の上皮細胞の一部に細胞の多能性を維持する転写因子Sox2の発現領域が現れる。さらに発現領域の一部がBMPシグナルを受けて細胞周期から離脱して増殖を停止し、前駆細胞領域に分化した後、Notchシグナルによって一部は有毛細胞に、残りは支持細胞に分化する。細胞増殖の停止は胎生12.5日目に蝸牛の頂回転(渦の中心部)から始まり約2日かけて基底回転(外側)に広がっていく。一方で有毛細胞への分化は胎生14.5日目に基底回転から始まり3日間で頂回転まで到達する。これまでにFGFレセプターの一つである、FGFR1シグナルを抑制すると有毛細胞の形成が阻害されることが示唆されていたが、FGFR1の詳細な機能は不明だった。
そこで研究グループはFGFR1シグナルに着目し、まずどの時期に必要なのかを調べるため、時期特異的にFGFR1シグナルを阻害したマウスを用いてその影響を解析した。用いたのは胎生10.5日にFGFR1発現量が2割に減少する変異マウスと、胎生10.5日では正常な量だが4日かけて徐々に2割まで低下するマウスの2種。それぞれの胎生18.5日の蝸牛管を調べると、前者は全体にわたって有毛細胞の多くが失われ断続的になっているのが観察された。基底回転より頂回転が、また内有毛細胞より外有毛細胞の方が、顕著に欠失していた。これに対し後者の表現型は比較的弱く、頂回転では重度の異常がみられたが基底回転では軽度の欠損しかみられなかった。次にFGFR1が活性化すると結合タンパクFrs2/3も活性化されることが知られているが、FGFR1とFrs2/3の結合を阻害したマウスを調べると、上記の胎生10.5日目以降FGFR1発現量が2割のマウスとほぼ同様の重篤な異常を示した。以上のことから有毛細胞、特に外有毛細胞の発生には少なくとも胎生12.5日までにFGFR1シグナルが必要であること、またFGFR1のFrs2/3を介したシグナルが重要であることが明らかとなった。
FGFR1シグナルが有毛細胞形成のどの段階で働くかを調べる為、FGFR1シグナルを阻害して各段階における影響を調べた。その結果、前駆細胞領域から有毛細胞と共に生み出される支持細胞の形成も著しく阻害されていたため、FGFR1は有毛細胞と支持細胞への分化よりも前に働いていることが示唆された。また、その前段階で起こるSox2発現領域の増殖停止と、前駆領域への分化について調べると、FGFR1シグナルを阻害しても増殖停止は正常に起こるが、分化は阻害されていることが分かった。さらにその前段階に起こるSox2の発現についても検証すると、Sox2の量が減少していた。以上のことより、FGFR1シグナル伝達は有毛細胞形成においてSox2の維持と、前駆細胞への分化に必要であること、しかし前駆細胞の増殖停止には関与しないことが示唆された。また、さらなる解析によりFGFR1-Frsシグナル伝達の下流でMAPキナーゼ経路が働いていることも示された。
以上のことからFGFR1-Frsシグナル伝達がMAPキナーゼ経路を介して有毛細胞の前駆細胞の維持と分化において重要な役割を担っていることが示唆された。Ladher研究室長は「今回の研究で我々は“FGFシグナルが一体どうやって有毛細胞の数を決めているのか?”という古くからの問題に新たな知見を加えた。将来FGFシグナルを調節することによって培養環境で有毛細胞を作り出し、ダメージを受けた内耳の有毛細胞と取り替えることができるようになるかもしれない。」と語る。
掲載された論文 | FGFR1-Frs2/3 Signalling Maintains Sensory Progenitors during Inner Ear Hair Cell Formation |
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