トレハロースは多くの植物や昆虫が体内で利用している糖質だ。哺乳類は自身の体内で合成することはできないが、化学的に非常に安定な物質であることから様々な食品の変性防止剤として活用されており、私たちも日常的に摂取している。昆虫の体内では、トレハロースは体液中の糖の主要な成分であり、エネルギー供給、体内物質の安定化の他、乾燥耐性にも効果があると考えられている。乾燥環境に耐性のあるハエは体液中のトレハロース値が対象群と比べてより高かったという報告もあるのだ。しかし、トレハロースの生理学的機能はまだ未解明な部分が多い。

理研CDBの吉田美貴研修生（成長シグナル研究チーム、西村隆史チームリーダー）らはショウジョウバエを用いた研究で、トレハロースの合成酵素Tps1および分解酵素Trehの変異体を詳細に解析し、それぞれの生理機能を明らかにした。さらに、トレハロースの適切な代謝が正常な発育成長や、体内水分量の恒常性維持、乾燥耐性に重要な役割を果たしていることを示した。本成果はオンライン科学誌Scientific Reportsにて7月29日付で公開された。なお、吉田研修生は奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科の大学院生で、連携大学院制度を利用して理研CDBで研究活動を行った。

二糖のトレハロースは昆虫の脂肪体（哺乳類の肝臓に相当する器官）でTps1によって合成され、体液中に放出される。研究チームはこれまでに、Tps1変異体を用いて、トレハロースの欠損が飢餓や低栄養状態において個体の生存と成長に深刻な影響を及ぼすことを示している（＊科学ニュース2014.12.22）。一方、トレハロースはトレハラーゼ（Treh）によってグルコース２分子に分解される。Trehは選択的スプライシングによって、分泌型と細胞質型の2つのタイプが生じることが知られるが、Trehの生理機能の詳細や2つのタイプの役割の違いは不明だ。

そこで研究チームは、まずこれら2つの酵素それぞれの変異体を詳細に解析。ゲノム編集技術（CRISPER/Cas9システム）を用いて2タイプ共に欠損したTreh変異体を作製すると、さなぎ期に死亡することが判明した。さらに、分泌型・細胞質型それぞれの変異体を作製して比較解析したところ、分泌型の欠損は成虫まで生存できる一方、細胞質型ではさなぎ期より発生が進まず、細胞質型の方が正常発生においてより重要な影響を及ぼすことを示した。

Tps1変異体はトレハロースを合成できないため、体内のトレハロース値は正常より低い。一方、Treh変異体は分解できないため、トレハロース値は高くなる。そこで、両変異体を用いてトレハロースの生体内における機能を探った。Tps1、Trehいずれの変異体も体内のグルコース量が明らかに減少しており、飢餓・低栄養状態への耐性が低下していた。また、体内の水分分布を調べたところ、トレハロース値が高いほど体液の水分量が増加し、組織内の水分量が低下していた。つまり、Tps1変異体では濃くどろっとした体液に、Treh変異体は薄くサラッとした体液になるのだ。さらに、各変異体の乾燥状態における生存率を調べたところ、興味深いことに、Tps1だけでなくTreh変異体でも生存率は低かった。このことは、体内トレハロース値が高いだけでなく、正しく代謝されることが乾燥耐性を発揮するために必須であることを示している。

「体液は体内の物質循環だけでなく、生理活性物質の化学反応の『場』としても非常に重要です。トレハロースは多すぎても少なすぎてもだめで、正しく代謝され一定濃度を保つことが体内の恒常性維持のために必要です」と西村チームリーダーは話す。「今回の研究では、Tps1、Trehという正反対の役割を持つ酵素が実は似たような性質を示す例を明らかにしました。今後は両者の違い、特にTreh変異体にのみ起こる現象に着目し、詳細に解析していきたい。トレハロース値が高い、つまり高血糖状態で起こる異常は、糖尿病の病態モデルにもなり得るのではと期待しています。」