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顎を持たず、対になったヒレを持たず、鼻の孔は一つしかない。円口類は原始的な脊椎動物と位置付けられ、私たちヒトを含む顎口類の共通祖先と分岐したのは5億年以上前と考えられている。現在生存が確認されているのはヌタウナギ類とヤツメウナギ類の2グループだけだ。高度に領域化された複雑な脳は脊椎動物のシンボルともいえるが、果たして、原始的な脊椎動物である円口類の脳もまた「原始的」なのだろうか。
理研の菅原文昭客員研究員、フアン・パスクァル=アナヤ研究員(倉谷形態進化研究室、倉谷滋主任研究員)らは、円口類胚の脳を詳細に解析し、顎口類胚の脳には共通して見られるが、円口類にはないと考えられてきた「内側基底核隆起(MGE:Medial Ganglionic Eminence)」ならびに「脳菱唇」と呼ばれる2つの領域が実は存在していることを突き止めた。これによって、脊椎動物の脳の基本構造は5億年以上前にすでに成立していた可能性が強まった。この研究は同研究室がCDB所属時に主に行われたもので、科学誌Nature電子版に2月16日付で先行公開された。なお、菅原研究員は現在は兵庫医科大学に籍を移し研究を進めている。
顎口類において、脳の各領域は驚くほど高度に保存されている。MGEは大脳の最も腹側の領域で、ここから表層の大脳皮質へとGABA作動性抑制ニューロンが供給されることで知られる。また、菱脳唇は第4脳室の背側に位置し、なめらかな運動を司る小脳の起源となる。過去の報告によると、MGEと菱脳唇はヤツメウナギ胚の脳では確認できず、また小脳については成体でも明確な構造が見られないことから、これら2領域は顎口類が円口類と分岐した後に獲得した構造であると考えられてきた。しかし一方で、ヤツメウナギの成体にMGE由来であるはずのGABA作動性ニューロンが確認されたことから、ヤツメウナギにはMGEが存在する可能性が浮上し、それまでの説と矛盾が生じていた。
そこで菅原らは、同じ円口類に属するヌタウナギを用いて発生過程の脳の詳細な解析を試みた。発生段階の異なる複数の胚の頭部連続切片を作製し、免疫染色とin situハイブリダイゼーションで特定の領域や組織を染め分け、コンピュータ上で脳構造を三次元的に再構成した。これをヤツメウナギやトラザメ(軟骨魚類:顎口類の中で最も古い系統に位置付けられる)胚の脳と比較し、目印となる組織の配置や神経繊維の走行などに多くの共通点が認められることを確認した。さらに、大脳腹側で内側基底核隆起のマーカー遺伝子Nkx2.1, Hh、後脳背側で菱脳唇のマーカー遺伝子Pax6, Atoh1の発現を確認し、ヌタウナギにもこれらの領域が確かに存在することを示した。
では、ヌタウナギと顎口類には存在する2領域がヤツメウナギで不在である理由はどう説明すればよいのだろうか。考えられるのは、円口類と顎口類に共通する形質がヤツメウナギで二次的に消失したか、もしくは顎口類とヌタウナギが似たような形質をそれぞれ独自に獲得した(収斂進化)か、だ。そこでヤツメウナギ胚の再解析を試みた。「存在しない」と結論した同研究グループらの過去の論文発表時にはヤツメウナギのゲノム情報は明らかになっていなかったことから、今回はゲノム情報を元に各マーカー遺伝子のパラログ遺伝子(重複遺伝子)まで綿密に再調査した。その結果、Nkx2.1、Pax6、Atoh1の発現が観察され、ヤツメウナギ胚にもMGEおよび菱脳唇が存在することが証明された。
「かつての研究者たちは、ヤツメウナギ胚の脳に2領域が見つからなかったことから、原始的な円口類は脳の構造も単純で、より高等な生物ほど複雑で精巧な構造の脳を進化させてきたと考えてきました。しかし今回の研究から、脊椎動物の特徴とも言える主要な脳領域は円口類にも共通して存在していること、つまり5億年以上も前に脊椎動物の脳の基本パターンとも呼べる構造はすでに完成していたことが明らかになりました」と倉谷主任研究員は語る。「もちろん多くの顎口類は、基本パターンの成立後に各パーツをより複雑なものへと発達させて現在の形を獲得するに至っています。今後のテーマは、各パーツがどのように獲得され進化してきたか。大脳新皮質や小脳のルーツや進化の過程に興味があります。」
掲載された論文 |
Evidence from cyclostomes for complex regionalization of the ancestral vertebrate brain. |
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