2012年8月29日

ヒトの血液から体内時刻を簡便に判定

私たちの体には、約24時間の周期を刻む体内時計が存在し、全身のホルモン分泌や血圧、睡眠など様々な生理現象を制御している。喘息発作や心筋梗塞、一部のアレルギー性疾患なども特定の時間帯に起りやすい。また、体内時計と外環境の時計との間にズレが生じると、時差ぼけや不眠、ホルモンの分泌異常、認知症や鬱の周辺症状などを引き起こすことが知られている。これらの診断や治療のためには、個々人の体内時刻を正確に知ることが重要だが、これまでヒトの体内時刻を簡便に判定する方法はなかった。

理研CDBの粕川雄也専門職研究員（機能ゲノミクスユニット、上田泰己ユニットリーダー）らは、ヒトの血液中に含まれる代謝物質を網羅的に測定することで、体内時刻を簡便に判定する方法を開発した。この研究は、慶応義塾大学生命科学研究所、国立精神・神経医療研究センター、北海道大学との共同で行われ、米国の科学誌Proceedings of the National Academy of Sciences（PNAS）に近日オンライン発表される。

3人の被験者から、24時間周期の変動を示す血中代謝物質が数多く同定された。

これまでに、血中のメラトニンやコルチゾールの量に基づいて体内時刻を判定する方法が開発されている。しかし、いずれの場合も被験者を長期間拘束し、血液を連続採取する必要があるため負担が大きい。そこで研究グループは、カール・フォン・リンネが考案した花時計にヒントを得て、より簡便な体内時刻判定法の開発に取り組んできた。花時計とは、特定の時刻に特定の花が咲くことを利用し、ある時点で咲いている花の組み合わせを調べることで時刻を予測するもの。彼らは以前に、マウスを用いた研究で、24時間周期で変動する血中の代謝物質を多数同定し、体内時刻とそれらの物質量の関係を表す分子時刻表を作成した。別のマウスから血液を採取して各代謝物質の量を測定し、それを分子時刻表と照らし合わせることで体内時刻を簡便に判定できることを示した。

粕川らは今回、ヒトでの同様の体内時刻判定法の確立を目指した。まず、ヒトの血中で24時間周期の変動を示す代謝物質を同定するために、3人の被験者からコンスタントルーチン法による血液採取を行った。この方法では、被験者は室温や光量が一定の環境下において36時間断眠状態で過ごす。その間、食事は2時間おきに1日の必要摂取量を分割した分を摂取し、血液も2時間おきに採取される。このような方法をとることで、摂食サイクルや生活サイクルといった外部環境の影響を排除し、内在的な体内時計に従って変動する血中物質だけを抽出することができる。彼らは、この方法で採取した血液の代謝物質をLC-MS法（液体クロマトグラフィー／質量分析法）で網羅的に解析し、24時間周期で変動する物質を数十種類同定した。そして、これらの物質量と時刻の関係性を示す分子時刻表を作成した。

次に、この分子時刻表の有効性を検証する実験を行った。まず、別の被験者3名から任意の時刻で血液を採取して血中代謝物質を解析し、分子時刻表に基づいて体内時刻を推定した。さらに、合計6名の被験者に強制脱同調法と呼ばれる方法で外環境の時刻と体内時刻との間にずれを生じさせ、その上で血液を採取して体内時刻を推定した。これらの結果と従来法で測定した体内時刻とを比較したところ、いずれの場合も従来法とほぼ同じ時刻を示すことが分かり、その誤差は最大でも３時間程度に収まっていた。これらの結果から、今回作成した分子時刻表を用いることで、従来法の様に連続的な血液採取を行わなくても、ヒトの体内時刻を正しく簡便に判定できることが示された。

今回の研究は、近年発展が著しい生体物質の網羅的な解析技術と、そこから有用なデータを抽出する数理科学的手法によって可能になった。ヒトの体内時刻が簡便に判定できれば、将来、時差ぼけや一部の睡眠障害にみられる体内時計の異常（リズム障害）を簡便に診断できるようになる可能性がある。また、リズム障害の治療薬の開発や治療効果の評価手段としても利用できると考えられる。さらには、1日のうち最適な時間に投薬することで最大の治療効果を得る「時間治療」においても、個々の体内時刻に合わせたより効果的な治療が可能になると期待される。粕川専門職研究員は、「今回確立した体内時刻判定法の精度や簡便性をさらに高め、今後、実際の患者さんの血液サンプルを用いてその有効性を検証したいと思います」と話す。