遺伝子の発現はDNAの塩基配列によって制御されるだけでなく、DNAに二次的に付加した情報、例えばDNAの化学修飾や染色体の構造によっても制御されている。このような二次的な情報は細胞分裂を経ても受け継がれ、胚発生における細胞の運命決定や分化状態の維持に重要な役割を果たしている。DNAのメチル化はこのようなゲノムの二次的な制御、いわゆる「エピジェネティクス」を担う主要な機構の一つだ。ところが興味深いことに、DNAのメチル化は体細胞の生存と分化に必須である一方、ES細胞の生存には不必要であることが知られる。いったいどのような細胞でDNAのメチル化が機能しているのだろうか?
理研CDBの阪上守人研究員(哺乳類エピジェネティクス研究チーム、岡野正樹チームリーダー)と大田浩研究員(ゲノムリプログラミング研究チーム、若山照彦チームリーダー、現京都大学助教)らは、DNAのメチル化が起こらないマウス胚を作成して発生への影響を調べ、胚体外組織の形成にDNAのメチル化が必須でないことを明らかにした。この研究はCurrent Biology誌の8月号に掲載された。
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DNAのメチル化に必要な酵素を全て欠損したTKO細胞(緑)が、胚体外組織である胎盤の形成に寄与している様子。
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彼らはまず、核移植技術を利用して、DNAのメチル化に必要な3つのメチル基転移酵素、Dnmt1、Dnmt3a、Dnmt3bの全てを欠損したトリプルノックアウト胚(TKO胚)を作成した。TKO胚の初期発生を調べたところ、胚盤胞期までの発生は正常だったことから、DNAのメチル化は胚体および胚体外組織の運命決定に関与しないことが明らかとなった。TKO胚は着床後致死になることが予想されたため、正常胚とTKO胚の細胞を混合したキメラ胚を作成することで致死を回避し、胚盤胞期以降の発生を調べた。その結果、TKO胚由来の細胞は胚体の形成にはほとんど寄与せず、胚体外組織に偏って存在することが明らかになった。細胞の分化が進行するとともに、胚体を形成するTKO細胞は細胞死を起こしているようだった。
そこで彼らは、胚を形成する細胞の分化とDNAメチル化の関係をより詳しく調べることにした。まず、Dnmt1、Dnmt3a、Dnmt3bの全てを欠損したES細胞(TKO-ES細胞)を用い、レチノイン酸の添加によって細胞分化を誘導する実験を行なった。すると、TKO-ES細胞は神経外胚葉に特異的な遺伝子を発現し始めたが、高頻度にアポトーシスを起こして死んで行くことが分かった。このアポトーシスでは、DNA傷害によって引き起こされるアポトーシスと同様の経路が活性化しているようだった。一方で、TKO-ES細胞を栄養外胚葉や原始内胚葉といった胚体外組織に分化誘導してもアポトーシスは起こらず、正常なES細胞と有意な違いは見られなかった。
彼らはTKO胚盤胞から栄養外胚葉幹細胞(TKO-TS細胞)を樹立することにも成功した。TKO-TS細胞の性質を調べた結果、培養した状態で様々な栄養外胚葉細胞に分化できることや、胚に移植すれば胎盤形成にも寄与することが明らかになった。一方で、マイクロアレイによる発現解析を行なうと、TKO-TS細胞では幹細胞に特異的な遺伝子発現が見られるが、正常な栄養外胚葉とは異なる遺伝子発現も見られた。このことは、細胞の生存や分化に必須ではないが、胚体外組織においてもDNAのメチル化が一定の機能を果たしていることを示唆していた。
今回の研究により、DNAのメチル化が胚盤胞期以降の胚の形成に必要である一方、少なくとも一部の胚体外組織の形成には必須でないことが明らかになった。岡野チームリーダーは、「体細胞ではエピジェネティックな発現制御によって細胞の性質が長期にわたり安定に維持されています。一方で、発生過程ではエピジェネネティックな状態が大きく変化し、細胞の性質も柔軟に変化して行きます。胚盤胞に由来するES細胞やTS細胞がDNAのメチル化無しでも生存できることは、これらの細胞のエピジェネティックな制御の柔軟性を裏付けていると思います」とコメントした。
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