独立行政法人 理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター
2008年8月5日

ES細胞からホメオスタシス中枢の細胞を分化誘導に成功

PDF Download

理研CDB綿谷崇史リサーチアソーシエート(細胞分化・器官発生研究グループ、笹井芳樹グループディレクター)らはES細胞から視床下部ニューロンの分化誘導に成功した。更にこの分化誘導した視床下部前駆細胞からバソプレッシン分泌型ニューロンなどの複数の視床下部ニューロンを試験管内で産生可能であることも明らかにした。ES細胞から視床下部の神経組織を選択的に分化させる機構が明らかになったことで、複雑な脳の形成過程の一端が解明されたとともに、身体の恒常性(ホメオスタシス)維持など重要な生理機能を持つ視床下部ニューロンを利用した創薬、疾患研究、医療などへの応用が期待される。今回の研究成果は全米アカデミー紀要(Proc. Natl. Acad. Sci. USA)に8/5付けでオンライン公開された。


脳は多様な機能と形態を持つ何億もの細胞で構成される。運動に関わる細胞、感覚に関わる細胞、自律機能に関わる細胞などなど、その種類は二千種類とも三千種類ともいわれる。初期胚発生の過程で生じる未分化な神経前駆組織から如何に特定の機能を持った脳神経細胞へと発生・分化していくのか、その機構については未だ謎が多い。

研究グループでは、これまでES細胞などを用いて、未分化な細胞から脳に存在する多様な特徴を持った神経細胞が生み出されてくるメカニズムを研究してきた。今回、綿谷リサーチアソーシエートらは、進化的に古い脳の部位で、医学的にも重要な機能を持つ視床下部の発生・分化に興味を持ち、試験管内での分化誘導を試みた。研究グループでは以前にマウスやヒトのES細胞を無血清浮遊培養にて培養し、大脳の神経細胞を効率的に分化誘導する培養法(SFEB法)を確立していた。綿谷リサーチアソーシエートらは当初、視床下部は大脳より位置的に近いことから、この培養に何かしらの誘導因子を加えれば視床下部の細胞が出来るのではないかと研究を進めたが、視床下部の神経細胞の分化誘導に成功しなかった。
「そこで、通常培養液に日常的に入れている添加物ですら位置情報として作用しているのではないかと考え、インスリンに注目しました」(綿谷リサーチアソーシエート)。 解析の結果、SFEB法において視床下部ニューロンへの分化誘導を阻害しているのはインスリンの下流シグナル経路のひとつであるPI3K/Akt経路であることが分かった。このインスリンを始めとする成長因子を全く含まない完全化学合成培地を用いてマウスES細胞を培養すると(SFEBq/gfCDM法)、細胞の60%〜70%が視床下部前駆細胞マーカー(Rax、Six3、Vax1、Nestin)を発現する細胞に分化することが分かった。また、インスリン存在下でも、下流シグナル経路の一つであるPI3K/AKT経路を遮断すれば視床下部前駆細胞を分化誘導出来ることがわかった。後者の条件でヒトES細胞を培養すると、マウスES細胞同様に視床下部前駆細胞が分化誘導されることを確認した。

更に、このマウスES細胞より誘導された視床下部前駆細胞を純化し培養を続けたところ、視床下部背側部にある室傍核などに存在するバソプレッシン産生ニューロンが出来ることが分かった(下図左)。また、この前駆細胞に腹側神経細胞分化誘導因子であるソニックヘッジホッグ(Shh)を作用させると、腹内側核SF1ニューロン(満腹中枢の主要なニューロン)、弓状核AgRPニューロン(摂食行動に関与)、A12ドーパミンニューロン(乳汁分泌調節)など視床下部腹側の様々なニューロンを分化誘導出来ることを確認した(下図右フローチャート参照)。


左:ES細胞から分化したバソプレッシン産生ニューロン
右:視床下部ニューロン選択的分化誘導法フローチャート


視床下部は内分泌中枢、自律神経の中枢など身体の恒常性維持に中心的な役割を果たす器官であり、多くの生理機能に関与している。
「視床下部は様々な疾患との関わりが非常に大きいのですが、成人脳のわずか0.3%しかない小さな臓器であるがために、あまり良い実験系がありません。ES細胞を利用することによって均一な視床下部神経を大量に得ることが出来れば病体解明や創薬研究にきっと役立つだろうと考えます。」(綿谷リサーチアソーシエート)
視床下部の障害で最近、特に注目されているのが、過食症や拒食症などの摂食障害である。視床下部の摂食制御ニューロンが今回分化誘導できるようになったことにより、今後こうした複雑な行動障害に対する創薬への応用も期待される。

また、今回のSFEBq/gfCDM法において、成長因子など外部からの因子による誘導をうけない基底状態(デフォルト状態)でのES細胞が視床下部の細胞(特に背側)に分化したことは、脳のパターニングの最も初期状態を考える上で非常に興味深い結果であるといえる。脳の進化上最も古くから、かつ広く保存されている視床下部のニューロンをデフォルトとして、そこから誘導因子により大脳などを始めとする脳内の様々な種の細胞が発生・分化していくのではないかと考えられる。この分化のデフォルト状態を特定できたことにより、視床下部のみならず今後様々な神経を選択的に分化誘導出来るようになると期待出来る。

 

掲載された論文

http://www.pnas.org/content/early/2008/08/11/0803078105

 


Copyright (C) CENTER FOR DEVELOPMENTAL BIOLOGY All rights reserved.