Blimp1による生殖細胞の遺伝子発現制御 |
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生殖細胞は遺伝情報を次世代へと伝えるための特別な細胞である。我々の体を構成する大部分の細胞は一世代限りで死滅する運命であるのに対し、生殖細胞(卵子・精子)だけは何世代にも渡り脈々と遺伝情報を伝え、種を保存する機能を担っている。ヒトを含む哺乳類において、このような生殖細胞の特異性を生み出す初期の発生プログラムの多くは未だに不明であった。哺乳類では発生初期にごく少数の細胞のみが生殖細胞がとして形成されるので、分子生物学的なアプローチが困難であったためだ。今回、栗本一基基礎科学特別研究員(哺乳類生殖細胞研究チーム、斎藤通紀チームリーダー)らは、「単一細胞マイクロアレイ法」を用い始原生殖細胞におけるゲノムワイドな遺伝子発現制御動態を明らかにした。この研究成果はGenes & Development誌(6月15日号)に掲載された。
胚の発生過程では神経系や骨格系、内臓系などさまざまな組織・器官が形成されていく。それぞれの組織・器官に特異的な分化メカニズムを理解するには、各部位に解析の対象を絞る必要がある。「マウスの生殖細胞は発生初期に数個から40個程度の細胞から形成されます。この形成過程を詳細に解析するためには、単一細胞レベルでのcDNA増幅法が必要でした」と栗本研究員は語る。この増幅法は、単一細胞からcDNAライブラリーを合成し、リアルタイムPCR解析や、マイクロアレイを用いた全ゲノムレベルでの遺伝子発現解析を可能とする(Kurimoto et al., 2006, Nucleic Acids. Res., 34. e42)。この研究では、発生初期の始原生殖細胞における遺伝子発現の動態、およびBlimp1の欠損によるその破綻過程を全ゲノムレベルで解析した。生体内の特定の細胞系譜における発現動態や、その中での特定の転写因子による制御機構を単一細胞レベルで包括的に解析した例は、本研究の他に類を見ない。
この方法を用いて栗本研究員らは遺伝子発現パターンを詳細に解析し、生殖細胞において今まで知られていなかった遺伝子発現プログラムを明らかにした。彼らはまずマウス胚受精後6.25〜8.25日までの始原生殖細胞を6点の発生ステージに渡って採取し、系時的な遺伝子発現パターンの変化を解析した。その結果、始原生殖細胞はBlimp1の発現により運命決定を受けた後であっても、中胚葉マーカーであるHoxb1の発現を示すなど一時的に周囲の体細胞と同様の制御を受けるが、Blimp1によってそれを能動的に抑制し、生殖細胞となるべく潜在的分化多能性などの性質を再獲得することがわかった。さらにDNAマイクロアレイを用いて始原生殖細胞における全遺伝子発現の詳細な解析を行い、転写因子、シグナル伝達因子を含む、数多くの生殖細胞特異的遺伝子群を同定した。Hoxb1を始めとする中胚葉関連因子は一度発現が上昇するものの、生殖細胞分化の進行に伴い速やかに抑制されるという発現動態を見せた。また、始原生殖細胞ではFGFレセプター1やSnailなど上皮間葉系転移に必要な遺伝子の発現が抑えられていること、維持メチル化・新規メチル化に必要な遺伝子が両方とも抑制されていくことなど、生殖細胞を規定する遺伝子群の発現動態の全容が明らかになった。
彼らはさらにBlimp1欠損胚においても同様の解析をおこない、生殖細胞形成過程の遺伝子発現制御におけるBlimp1の機能を解明した。Blimp1をノックアウトした胚では体細胞化プログラムの抑制が全く働かず、周囲の中胚葉と同様の遺伝子発現上昇が起きていた。一方で、本来生殖細胞において発現が獲得される遺伝子群のうちほぼ半数は、程度の差はあれども発現を開始しており、生殖細胞に特異的な遺伝子の活性化におけるBlimp1の重要性が明らかになるとともに、Blimp1非依存的なメカニズムの存在が示唆された。また細胞一つ一つにおける遺伝子発現を定量的に解析すると、それらのBlimp1への依存性は決して一様ではないことが明らかになった。すなわち、ある遺伝子はその発現量がBlimp1の発現量に依存しており、また別の遺伝子では発現のON/OFF制御がBlimp1の発現量に依存していることが見出された。さらには、Blimp1を欠失すると、各細胞一つ一つが、特異的な遺伝子発現を一つのセットとして獲得することはできないことが判明した。「Blimp1がなくても生殖細胞特異的な遺伝子の発現はある程度開始されます。しかし個々の細胞が、そのような多数の遺伝子を同時に発現することはできなくなるようです。つまりBlimp1には生殖細胞を作るための遺伝子発現を統合する機能があるといえます」(栗本研究員)。このような知見を単一細胞解析以外で得ることは非常に困難だろう。
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(A)胚発生各時期における始原生殖細胞の分化過程
(B)PS期(受精後6.25日)からE/MB期(受精後7.5日)までの生殖細胞および周囲の体細胞における遺伝子発現制御 |
このように詳細且つ精密に多数の遺伝子発現解析を行うことができるのは、目的の細胞のみを確実に解析の対象にできるこの方法論の独自性と、データの信頼性によるといえる。「単一細胞解析においては細胞一つ一つの多様性が直接反映されるため、それを考慮して本質的な情報を抽出することが必要です。そのためには統計的な解析に耐えうるだけのサンプル数を、発生初期の少数の生殖細胞から確保しなければなりませんでした」と栗本研究員は語る。わずかな細胞からでも発現解析を行うことができるこの方法は、今後さまざまな細胞種への応用が期待される。組織・器官を構成する個々の細胞の発現プロファイルを取得することにより、発生過程のみならず、神経系や体性幹細胞の構成・維持、病態を示す組織・細胞など、さまざまな生命現象の解明に活用することができると考えられる。
今後は、この研究により明らかになった遺伝子群の詳細な機能解析などを通して、生殖細胞の形成過程のメカニズムがより詳細に解明できると期待される。また、始原生殖細胞の包括的な発現プロファイルは、ES細胞などの多能性幹細胞から人為的に始原生殖細胞を構築する際の評価系としても有効利用できる可能性が期待される。
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