新たなPCR法により、単一細胞から定量性の高いマイクロアレイ解析が可能に |
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ある細胞の機能や性質を理解する上で、その細胞がどんな遺伝子を発現しているのかは必要不可欠な情報である。多くのモデル生物でゲノム配列がほぼ決定され、遺伝子発現をゲノムワイドに、同時に解析できるマイクロアレイも普及してきた。マイクロアレイ解析には1000細胞程度以上のRNA量(ng〜μgオーダー)が必要である。これは、単一細胞もしくは少数の細胞集団を対象とした遺伝子発現解析が非常に難しいことを意味している。一方で、極少数の細胞が決定的な役割を果たす生命現象は数多く見つかっており、これらの細胞における定量的な遺伝子発現解析は益々重要になってきている。
今回、理研CDBの斎藤通紀チームリーダー(哺乳類生殖細胞研究チーム)らは、細胞から抽出した極微少量の転写産物(mRNA)を、高い定量性を維持したまま高効率に増幅するPCR法を開発し、単一細胞レベルでのマイクロアレイ解析を可能にした。また、この方法を用いて、マウス胞胚期の内部細胞塊(inner cell mass; ICM)における遺伝子発現を単一細胞レベルで解析し、ICMには2つの異なる細胞集団が存在するらしいことを突き止めた。この研究は、CDBのシステムバイオロジー研究チーム、機能ゲノミクスサブユニット(共に上田泰己チームリーダー、サブユニットリーダー)との共同で行われ、Nucleic Acids Research誌に3月17日付でon line発表された。
少数の細胞における遺伝子発現を、マイクロアレイ(高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ)で解析するには、まず初めに、発現している全ての遺伝子の転写産物mRNAを逆転写してcDNAに変換した後、偏りなく増幅する必要がある。cDNAを増幅する方法は、指数関数的増幅法(PCR)と線形的増幅法(IVT、Ribo-SPIA)に大別されるが、少数の細胞から得られる極微少量のcDNAを増幅するためには前者の方法が適している。しかしながら、BradyとIscoveらによって開発された既存の方法は、非特異的なプライマー結合などによる副産物が多く、増幅の効率が不十分であると共に、PCRによって指数関数的に増幅するノイズや、増幅効率の偏りを避け得ない、という決定的な問題を抱えていた。
今回、斎藤チームの栗本一基研究員らは、上記の指数関数的増幅法の欠点を克服し、指数関数的増幅法と線形的増幅法を組み合わせた方法論を確立した。彼らはES細胞から抽出したRNAを単一細胞レベルにまで希釈したサンプルを用い、23種類の遺伝子についてPCRによる増幅前と増幅後の定量性を比較することにより、指数関数的増幅法に様々な改良を加えていった。まず彼らは、mRNAからcDNAを合成した後に余剰なプライマーを除去し、非特異的な副産物を大幅に減少させた。さらに、cDNAを増幅するためのPCRサイクル数を最低限の20サイクルに抑えることで、増幅の偏りが生じるリスクを最小化した。また、cDNA増幅に用いるプライマーの配列についても検討を行い、V1およびV3と名づけた最適配列を見出して高効率な増幅を実現した。既存の方法では1種類のプライマーを用いていたため、増幅産物cDNAの方向性が失われてしまっていたが、新規方法論ではこれら2つの異なるプライマーを用いて増幅することでcDNAの方向性が維持できるようになった。これにより、マイクロアレイ実験に用いるcRNAを、片方のDNA鎖からのみ、線形的増幅法にて合成することが可能になった。この他にも幾つかの改良を施し、定量性・再現性・網羅性、いずれも大幅に改善したPCR法を確立した。これにより、単一細胞においておおよそ20分子以上の転写産物を発現する遺伝子に対して、偽陽性率3%・偽陰性率6%という正確さを発揮するマイクロアレイ解析が可能となった。
彼らは、早速この手法を用いて、マウス3.5日胚から得たICMについて単一細胞マイクロアレイによる発現解析を行った。すると、細胞形態や細胞集団における遺伝子発現解析からは均一であると考えられていたICMが、原始内胚葉(primitive endoderm; PE)と胚盤葉上層(Epiblast)にそれぞれ特徴的な遺伝子発現を示す2種類の細胞群からなることを示す結果が初めて得られた。EpiblastやPEは、4.5日胚では明らかに形態的に分化した細胞群として現れるのだが、遺伝子発現レベルではICMの段階で分化が始まっていることが示唆された。
単一細胞レベルでのゲノムワイドな発現解析を可能にした今回の成果は、生物学の様々な分野に大きなインパクトを与えるだろう。とりわけ、極少数の細胞の間で運命決定が行われる発生過程や、組織幹細胞とそれを取り巻く微小環境の研究などに大きな進展が期待される。
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